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《セピア色の風景帖》第162回 長谷川製糸工場(高畠町):上

2022年8月26日
 高畠町竹森にはかつて、老朽化した広大な工場群が広がっていた。一見すると学校跡のようだったが、そびえ立つ煙突がそうではないことを主張していた。
《セピア色の風景帖》第162回 長谷川製糸工場(高畠町):上

 伊達氏の統治時代に始まった置賜地域の養蚕業は、上杉鷹山の奨励政策によりさらに活発になった。富国強兵が叫ばれた明治に入るとより盛んになり、各地に製糸工場がつくられた。竹森の長谷川製糸工場はその中のひとつで、地元の大地主、長谷川平内によって明治15年に操業を始めた。

 近年まで残っていた建物は大正2年以降のもので、創業時のものではなかったようだが、それでも充分に産業文化財(近代化遺産)級の歴史を経ていた。

《セピア色の風景帖》第162回 長谷川製糸工場(高畠町):上

 製糸は繭(まゆ)を煮るところから始まり、糸繰り、仕上げという工程を経るが、工場棟は工程ごとに建物が分かれていた。棟の間を十分に空けて配置されていたことから、採光、通気に配慮して建てられたものであったことがうかがえた。
 15畳で10人部屋の男子寮、女子寮も備え、それぞれ洗心寮、淑徳(しゅくとく)寮と名付けられていたと聞く。木造2階建てで、図書室もあったという。

《セピア色の風景帖》第162回 長谷川製糸工場(高畠町):上

 最盛期には700人を越える従業員で溢れていた敷地は、今は雑草が生い茂るだけになった。人影が見当たらないことは言うまでもない。(F)