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《セピア色の風景帖》第161回 朝日町立和合小学校

2022年7月22日
 豪雪地として知られ、民家もまばらな朝日町。古くからあった小学校や分校の多くは平成の時代まで生きながらえたが、地域の衰退とともに次第に閉校の嵐が吹き荒れるようになった。和合小学校もそうした波に抗うことはできず、2008年に132年の歴史に蹄を下ろした。
《セピア色の風景帖》第161回 朝日町立和合小学校

 同校の創立は明治8年(1875年)。戊辰戦争から間もないころであり、まだ土族が大勢いた時代である。西郷隆盛が起こした西南戦争は創立の2年後であった。
 この学校がこれまで輩出した卒業生はおよそ2000人と聞いている。在校生が1000人に迫る山形市内の大規模校からみれば、130数年間での延べ卒業生はいかにも少ないが、少人数規模でありながらも永く学び舎の灯を絶やさなかった朝日町の教育に注ぐ情熱は驚嘆に値する。

《セピア色の風景帖》第161回 朝日町立和合小学校

 校舎は明治のものではなく、昭和2年(1927年)の建造である。廃校時は築80年超の建物だったわけで、その維持・管理は大変であったと思われるが、古いながらも手入れの行き届いた校舎や敷地のたたずまいからは、
同校に対する地域の人々の想いが表れているように感じられた。
 最終年の在校生41人は廃校後、宮宿小学校に通うことになった。徒歩通学からスクールバス通学となり、ますます地元との結びつきが薄くなっていったと聞く。

 同校のような木造校舎消える一方で、木造校舎で学んだ児童も減るばかりである。せめて木造校舎の醸し出す雰囲気を残して欲しいと切望していたが、校舎は31年に無残にも解体・撤去され、跡地には老人ホームが建築された。(F)