城西牛乳(山形市)社長 戸田 雅大さん

山形市中心部の城西町で
三世代に渡って牛乳づくりを
――乳業メーカーが山形市ど真ん中の城西町に!
戦後すぐの創業
「戦時中、このあたり一帯は歩兵第32連隊の練兵場だっけのよ。戦後は何もない荒れ地。そこに復員軍人たちが『城西開拓農協』なんてのを組織して、自給自足みたいなことを始めたんだね」
「そのうち、農協の一部門として『牛乳もやるべ』って話になり、おやじが1950年(昭和25年)に『城西牛乳協同組合』を設立したのが始まりったな。おやじは酪農が盛んな高畠町の出身だったから、あっちから牛1頭を連れてきて」
「うちの牛は3頭まで増えたかな。あとは組合員が10人ほどいて、それぞれ牛2、3頭を飼ってたから、それらの生乳を集めて殺菌して、瓶詰めして宅配してたんだね」
――この場所で?
「そう。昭和42年ごろまではこのあたりにも結構な牛がいたんだから」
――へ~え。
「今は酪農家も大型化が進んで、生乳の調達はJAグループにほぼ一本化されてる。売り方もかつてのような宅配は姿を消して、大半がスーパーなど量販店向けったな」
コロナで見通し難に
――でも最近はコロナで大変なんでしょ?
「業務用の需要が落ち込んでっからね。牛乳は給食で消費される割合が大きくて、去年みたいに休校になるなんて事態は回避されてっけど…」
「それでも去年より生乳の生産は増えてるから、春休みの3~4月とか、ゴールデンウィークなんかは生乳を廃棄処分する可能性もあった」
「幸い、最悪の事態は避けられたけど、牛は生き物だから簡単に生産調整なんてできないでしょ。だからコロナ以降、毎日が綱渡り状態で、先行きの見通しが立たないのがツラいよね」
デフレや少子化も逆風
「俺らが業界に入ったころは『頑張れば大きくできる』なんて夢も持てたけど、今はデフレで簡単に値上げなんてできないし、少子化で需要の伸びも期待薄。もっとも、それはこの業界に限らず、同世代の経営者仲間とも『この先、どうすっぺ?』なんて会話が多いっけねえ(苦笑)」
――でもんな中、ご長男が入社してくれて!
後継者問題はクリア
「頼んだわけじゃないんだけどね(苦笑)。そりゃあ、嬉しかったさ。俺もそうだったけど、長男って何も考えてないようでいて、実は親のこと、家業のことを心配するもんなのかなって」
――よかったじゃないですか。
「とりあえずはね。だけど長男にとって本当によかったかどうかは、この先になって分かることだげんどもね(苦笑)」