レトロやまがた再発見

 米沢城跡界隈から旧会津街道を南に歩いていくと、ほどなく2階建ての母屋を中心とした重厚な趣の屋敷が見えてきます。ここはその昔、「津の国屋吉貞」という米沢織の織元でしたが、平成に入ってから米沢牛や懐石料理の日本料理店になりました。
2014年6月27日
 米沢市中心街から3キロほど南にある芳泉町は米沢藩の家老だった直江兼続が町割りしたとされ、藩政時代には「六十人在家」と呼ばれていました。30年ほど前までは茅葺屋根の武家住宅造りの建物が軒を並べていましたが、現在は数もすっかり減り、今でも残る「うこぎ垣根の屋敷」が農業をしながらも質素倹約に努めていた往時の武士の生活を偲ばせてくれます。
2014年5月23日
 南陽市役所から市街地を西に進むと漆山地区に入り、織機川(おりはたがわ)にかかる橋を渡ると、ほどなく右手の住宅の背後に巨大な3階建ての土蔵が目に飛び込んできます。これは大正14年建造の繭蔵だった建物で、現在は地区に伝わる有名な民話「鶴の恩返し」にちなむ文化施設「夕鶴の里資料館」になっています。
2014年4月11日
 今やすっかり山形市中心街の観光拠点になった「山形まるごと館 紅の蔵」は、紅花交易で財をなし、山形藩の御用商人として「五人衆」に数えられた「 長谷川家」の蔵屋敷を活用した施設です。
2014年3月14日
 南陽市赤湯生まれの結城豊太郎(1877~1951)は日本興業銀行総裁、日本商工会議所会頭、大蔵大臣、日本銀行総裁などを歴任しました。自身が学んだ東大の安田講堂の建設にも尽力したほか、郷土のためにも多大な貢献を果たしています。
2014年2月28日
 一見するとモダンな現代建築のようですが、建てられたのは昭和2年。当時は繭蔵で、戦後は農協倉庫として使われていました。南陽市が購入して、平成16年にリニューアルを施し、現在は交流施設に生まれ変わりました。
2014年1月10日
 フラワー長井線長井駅から東に8分ほど歩くと、左手に木造2階建ての大きな建物が木々の間に現れます。これが長井小学校の第1校舎で、文化財でありながら現役の学校校舎。児童たちは主として北側後の新校舎で学んでいますが、校長室や事務室、職員室、家庭科室などはこの第1校舎内にあります。
2013年11月22日
 戦前、県内各地では洋風の郵便局舎が相次いで建造されました。多くが総2階建てで規模は似通っていますが、それぞれ外観に独自の個性が感じられるのが興味深いところです。
2013年10月25日
 かつての郵便局が今の時代にブティックに衣替わり――。一般に蒼古(そうこ)としたイメージの郵便局とお洒落なブティックとではミスマッチ感がありますが、旧東根郵便局のハイカラな外観を見ると誰もが納得されることでしょう。この郵便局は東根市旧市街の商店街が賑わっていた時代を象徴する建物として異彩を放っています。
2013年9月13日
 JR羽前山辺駅前から西に5分ほど歩いていくと、2つ目の十字路の左手に装いも新たな純和風の建物が目に飛び込んできます。この建物は江戸末期か明治初期に建てられた旅籠(旅館)で、つい近年まで古色蒼然(こしょくそうぜん)とした姿で大通りに面していましたが、リニューアルが施され先月27日にふるさと交流センター「あがらっしゃい」としてオープンしました。
2013年8月9日
 山辺町の中心商店街を貫く国道458号沿いに、見るからに堅固な造りの西洋風の建物があります。この山二醤油店の店舗は山辺で最初の鉄筋コンクリート造りの建物で、竣工は昭和初年。山形1小旧校舎(現在のまなび館)のように、関東大震災の教訓から昭和初期に県内各地で建設された鉄筋コンクリート造りの建物のひとつです。
2013年7月12日
 米沢城跡公園を東に少し歩くと、間もなく十字路の東南角に瀟洒な外観の建物が見えてきます。
2013年6月14日
 米沢市といえば「上杉の城下町」。米沢城跡とその周辺はもちろん、郊外に足を伸ばせば「天地人」で知られる直江兼続が町割(まちわり)したとされる中下級武士たちの集落が今も残る街路があります。
2013年5月10日
 朝日町の中心部・宮宿を歩いていると、ひなびた街なみに突如として上げ下げ窓があるレンガ色のモダンな建物が現れます。外壁に白い縦線が施されたこの個性的な建物は大正13年(大正15年説も)に建造された旧宮宿郵便局です。
2013年4月12日
 大江町左沢(あてらざわ)が江戸時代に最上川舟運でおおいに栄えたことはよく知られています。舟運の中で米沢と大石田の中継地だっただけでなく、周辺の特産物だった青苧(あおそ)の商いも活発に行われていました。
2013年3月8日
 羽州街道沿いの山形市十日町周辺は江戸期に商人のまちとして栄えました。明治27年(1894年)「山形市南大火」に見舞われますが、災害を教訓に店舗を火災に強い土蔵造りに改めるなど見事に復興し、今も往時の殷賑ぶりが偲ばれるまち並みです。
2013年2月8日
 朝日町役場から東に徒歩15分ほどの丘陵沿いに新宿(あらじゅく)と呼ばれる集落があり、そこに小江戸のような情緒を漂わせた建物があります。これは戦争中まで集落の防火拠点だった警備所です。
2013年1月11日
 リンゴとワインで有名な朝日町の中心街が宮宿。周辺には豪壮な土蔵がいくつか見受けられますが、その中の古い2棟の土蔵を改修し、観光と憩いの場として2年前にオープンしたのが「蔵のひろば」です。
2012年12月14日
 山形市は明治時代から華やかな料亭文化が栄えました。その面影は代表的な老舗料亭である千歳館でも随所に偲ぶことができます。
2012年11月23日
 朝日町の最上川沿いの国道を南に進むと右手に西洋の城館のような外観の建物が見えてきます。鉄筋コンクリートづくりの建物の前にはプラタナスの並木が続いており、あたりは異国情緒にあふれた雰囲気を醸し出しています。
2012年11月9日
 長井市は人口3万人弱の都市ですが、古き良き日本を偲ばせる和風建造物だけでなく、一見ヨーロッパの都市を想わせる洋風建造物も幾つか遺されており、訪れる人を楽しませてくれます。旧小池医院もそんな洋風建造物のひとつです。
2012年9月28日
 全国いたるところが開発され尽くした感のある日本。農山村などに出かければ「日本の原風景」のようなところもまだ残っていますが、日本らしい「町場の原風景」を感じさせてくれるスポットは稀。でも丸大扇屋の建物は丸ごとそれを感じることができます。
2012年8月24日
 この西洋式の建造物が「小桜館」と名付けられているのは、平安時代から戦国時代にかけて「小桜城」という城があったことに由来します。
2012年8月10日
 日本海と酒田港を見下ろす日和山(ひよりやま)公園のさらに高台にある端正な白亜の建物が外科医院だった旧白崎病院。外観は洋風ですが、2階には畳敷きの和室もある職住一体の医院でした。
2012年6月22日
 中山町の岡地区には県の有形文化財に指定されている「柏倉九左衛門家」はじめ複数の柏倉家古民家があります。
2012年6月8日
 橋脚がアーチ状の橋は水面に映ると上下一体の円形になるため通称「めがね橋」と呼ばれ、山形県内には明治前期に築造された石造りのめがね橋が13カ所に現存しています。
2012年4月27日
 大石田町は上山市出身の歌人でアララギ派の巨匠、斎藤茂吉ゆかりの町として知られます。茂吉が大石田に滞在したのは昭和21年2月から翌年の11月までで、その間に住んだのがこの2階建ての書院風の建物。もとは地元の名家だった二藤部家の離れ間として昭和8年に建造されたものですが、禽(鳥類)の鳴き声を聴くという意味で茂吉により「聴禽書屋」と命名されました。
2012年2月24日
 「発電所を建設して出来た電気はみんな大都会に持って行く、地元は先祖代々共に暮らして来た水を利用しておこした電気であるに拘(かかわ)らず何の恩恵にも浴さない。現在でも電源地帯で、昔乍(なが)らの石油ランプを唯一の灯火(ともしび)としている村落は数多(あまた)ある」
2012年1月24日
 早くから「街並みづくり100年運動」を推進してきた金山町。新旧を問わず重厚な建物が居並ぶなか、写真の「カネカ」は訪れる人たちがつい足を止めて見入ってしまうほどの存在感を醸し出しています。
2011年12月23日
 こんなユニークな形の学校だと、勉強嫌いの子どもたちもきっとワクワクすることでしょう。そう、この建物は教育施設で、戦前はここで多くの青少年たちが学びました。
2011年11月25日