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<荒井幸博のシネマつれづれ>ショーケンを偲ぶ

2019年4月12日
出世作「約束」のエピソード

 先月26日に68歳で亡くなったショーケンこと萩原健一さん。萩原さんが俳優として開眼したのは1972年公開の映画「約束」だった。
 メガホンをとったのは故・斎藤耕一監督。斎藤監督はその後に南陽市が舞台の映画「おにぎり」(2004年)を撮った縁もあり、何度か話を伺う機会に恵まれたが、最も興味深かったのが「約束」のエピソードだった。

<荒井幸博のシネマつれづれ>ショーケンを偲ぶ

 ザ・テンプターズの解散後、いつか映画を撮ってみたいと切望していた萩原さんが師事したのが斎藤監督だった。「約束」にサード助監督として加わり、俳優の付き人からお茶くみのような雑務もこなしていたという。
 低予算でキャストが容易に決まらず、萩原さんの提案で、パリ在住の大女優・岸恵子さんに斎藤監督がダメもとで手紙を送ると、岸さんから「私のギャラは心配いらないから相手役の写真を送ってください」との返事。
 窮余の一策で萩原さんの写真を送ったところ、岸さんは「自分には若すぎるのでは」と懸念するも、萩原さんに会って好印象を持ち出演を承諾。かくして萩原さんが岸さんの相手役とになったのである。

 「約束」では故・三國連太郎さんが刑事役で出演しているが、三國さんは斎藤監督から俳優としては素人の萩原さんの指導役も委ねられていた。撮影時、あの怪優とよばれた三國さんが〝教え子”である萩原さんが見ている前でカメラが廻ると意識過多になり、何度もNGを繰り返したとか。
 図太さの塊のような三國さんがアガってしまうということに親しみを覚えたが、これも萩原さんの人並外れた存在感の表れだったのだろう。

 「約束」での演技が評価され、その年7月放送開始の「太陽にほえろ!」に抜擢された萩原さん。09年に他界した斎藤監督の告別式の場で「監督の『約束』を自分が監督してリメイクします」という萩原さんの弔電が読み上げられた時は嬉しく、その実現を待ちわびていたのだが、叶わぬものになってしまった。


<荒井幸博のシネマつれづれ>ショーケンを偲ぶ
荒井幸博(あらい・ゆきひろ)

1957年、山形市生まれ。シネマパーソナリティーとして多くのメディアで活躍、映画ファンのすそ野拡大に奮闘中。現在FM山形で「荒井幸博のシネマアライヴ」(金曜15時)を担当。