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国内最後の「鷹匠」 松原 英俊さん

2019年3月8日
松原 英俊(まつばら・ひでとし) 1950年(昭和25年)青森市生まれ。青森東高から慶応大文学部に進み、卒業後、真室川町に住む鷹匠の故・沓沢朝治氏に弟子入りし鷹匠として歩み始める。真室川町の加無山(かぶやま)の麓の山小屋、鶴岡市田麦俣の山小屋、天童市田麦野の古民家と居を移しながら冬は鷹狩りに明け暮れる。昨年12月、「鷹と生きる~鷹使い・松原英俊の半生~」(谷山宏典著)が山と渓谷社から出版された。妻子あり、68歳。
国内最後の「鷹匠」 松原 英俊さん

妻子と別れることがあっても
  死ぬまで鷹とともに雪山を

――「鷹と生きる」を拝読して、凄い人が山形にいるもんだと。 
 「これ(やまコミ)は時々目にしてますよ」

慶応を出て鷹匠に

――改めて半生を振り返っていただくと…。
 「子どものころから生き物が好きだったんです。小学生になると『野鳥の会』に入り、近所の野山に行っていろんな鳥を観察するようになって。そんな時代に読んだ戸川幸夫さん(故人)の小説『爪王(つめおう)』と、偶然テレビで見たドキュメンタリー番組『老人と鷹』に強い感銘を受けました」
 「2つの作品はいずれも鷹匠の沓沢朝治さんがモデル。それ以来、漠然と鷹匠という生き方に憧れるようになりました。大学を出て沓沢さんに弟子入りをお願いすると、最初は『鷹狩りで生活していける時代じゃない』と断られましたが」
 「私はお金を稼いだり、裕福な生活をすることには興味はなかった。ただ冬の野山を鷹とともに生きていきたいという強い思いがあって、最後は沓沢さんも根負けして弟子入りを認めてくれました」

仕留めるまでに3年半!

――でも1年で沓沢さんのもとを離れて。
 「いろんな考え方の違いがあって…。20代半ばで加無山の山小屋で私と鷹だけの生活を始めましたが、鷹匠としてまったく未熟だったから、唯一の相棒の鷹を死なせてしまったり、何より実際に獲物を仕留めるまでに3年半かかりました」
――よく諦めなかったですよね。
 「絶望したり、自分の未来に疑問を感じたことは1度もなかった。理由? 『想像力』でしょう。夢だった鷹とともに生きていくイメージ、鷹と一緒に獲物をとるイメージを明確に思い抱くことができていた」
 「それでも初めて獲物を仕留めた時は号泣しました。今思い出しても人生で最高の感動でした」

副収入で糊口しのぎ

――生活はどうやって?
 「それこそ鷹狩りでは食べていけませんから、若いころは春から秋までの間、土木作業のアルバイトをしたり、民宿で働いたり、山歩きのガイドをやったり。今は講演や鷹狩りの実演、行政からの依頼で鷹を使ってカラスの駆除も(苦笑)」
――全国に鷹匠を名乗る人はいても、大型のクマタカを使って実猟ができる最後の人だと。

鷹狩りは人生そのもの

 「左目の視力を失い、昨年は脳梗塞(のうこうそく)もやりました。それでも70歳、80歳になってよぼよぼになっても鷹とともに雪山を歩き続けていたい。それが最後の夢です」
――趣味とかじゃなく、鷹狩りは松原さんの人生そのものなんですね。