徹底して山形に密着したフリーペーパー

「やまがた街角」 編集・発行人 大久保 義彦さん

2019年2月22日
大久保 義彦(おおくぼ・よしひこ) 1936年(昭和11年)東京都生まれ。59年中大法学部卒業後、翌年にテレビ放送開始を控えたラジオ山形(現在の山形放送)に入社し、報道、制作、総務などを幅広く担当。99年関連会社の東北映音常務を最後に定年退職、直後に職場の先輩だった故・田中邦太郎氏が編集・発行人を務めるタウン誌「やまがた街角」の編集に携わるようになり、田中氏の死後2008年から同誌編集・発行人に。市芸術文化協会会長、県芸術文化協会副会長、山形国際ドキュメンタリー映画祭理事長なども務める。父は山形市長を3期務めた故・大久保伝蔵氏。82歳。
「やまがた街角」 編集・発行人 大久保 義彦さん

後世の人たちに残したい
 「街角」という本があったことを

――「街角」、3月1日付で休刊と聞きました。
 
絶滅する様を記して

 「街角が産声をあげたのは2001年(平成13年)。1972年(昭和47年)創刊のタウン誌『やまがた散歩』がその年に休刊して、新たなタウン誌をつくろうと亡くなった田中(邦太郎)さんらが創刊したんだね」
 「基本的な編集方針は、絶滅していくものを活字として残すっていうことかなあ。かつては栄えた街や文化が衰退していく様(さま)を記録として後世に伝えることが使命だと思ってた」
 「あとは山形で生まれ育った人、山形から外に出て行った人、外から山形に来た人が読んで『面白い!』と感じる内容を心がけていたよね」
 「発行は創刊時の隔月からほどなく季刊に変わったけど、編集会議は今も変わらず毎週。そこで侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論を重ね、次の号の特集なんかを決めてた。やっぱり往時の七日町や花小路など、古きよき時代を特集した号は評判がよかったなあ」
――初めてお目にかかりますけど、ずっと山形放送にいらしたんですね。
 「そうだよ」

文士が寄稿、高い格調

――でもボク、街角は結構ファンでしたよ、記事の参考させてもらうこともあったし。
 「それはそれは、ありがとうだね」
――タウン誌というより、どちらかといえば文芸誌のような。
 「山形市在住の直木賞作家・高橋義夫さんや、山形市出身の作曲家・服部公一さん、文芸評論家の池上冬樹さんらが寄稿してくれてたからね。文章好きが集うサロンのような匂いがあったね」
 「思い出?私はインタビュー専門で、作詞家の永六輔さんとか、俳人の金子兜太(とうた)さんらが印象に残るなあ。放送作家の西沢実さんから、戦場下のトラック島で句会を開いたという話を聞いた時は感動したねえ」

高齢化が進んで

――それが…。
 「部数は最盛期で2000部、直近は1000部ぐらいかな。営業力がないから新規の定期購読者を増やせなかったり、やめていく購読者をつなぎとめられなかったのが響いたよね。とにかく本が売れない時代だよ」
 「経営的なこと以上に、編集陣や外部執筆者の高齢化が悩みだった。鬼籍に入ったり『次の号で筆を置きたい』なんてのが増えていって、そろそろ潮時かなと」
――頑張りましたよ。
 「そうかねえ」

やまコミ読んでるよ

――やまコミは?
 「読んでるよ。面白い時とそうじゃない時があるけどな」
――その言葉、そっくりお返しします(苦笑)