徹底して山形に密着したフリーペーパー

国内最高齢バーテンダー 井山 計一 さん

2018年9月28日
井山 計一(いやま・けいいち) 1926年(大正15年)酒田市生まれ。酒田商業(現・酒田光陵高)卒業後、横浜市の東京芝浦電気(現・東芝)の軍需工場で働き、終戦の50年帰郷。社交ダンス教師などを経て55年にバー「ケルン」を開業し、以来62年もの長きにわたりカウンターでシェーカーを振り続ける。59年に創作カクテル「雪国」が壽屋(現・サントリー)主催の全国コンクールでグランプリに輝く。半生を描いたドキュメンタリー映画「YUKIGUNI」が11月に県内、年明けに東京都内で上映される。92歳。
国内最高齢バーテンダー 井山 計一 さん

カウンター越しに見る人生模様
  生きている限り現役を続けます

――生粋の酒田っ子なんですね。

子ども時代から遊び人

 「実家は料亭で子どものころから遊び人。高校時代は満州にわたって一山当てるつもりでいました。慌てた親父が裏で手を回して横浜に行くことになったんですがね」
 「終戦で酒田に戻っていくつかの仕事を転々とした後、進駐軍の社交場として割烹『小幡』がダンスホールになったのを機に、ダンスを習って教えるようになりました」
――小幡って映画「おくりびと」のロケで使われたところですよね。
 「そうそう。でも当時ダンスを習う人って進駐軍相手の芸者衆が多くって、そもそも教わることが苦手な人たち(苦笑)。だから商売としては成り立たなくて、仙台で修業してバーテンに」

92歳の今も現役

 「昭和30年代は儲かりました。酒田も当時は景気がよくてね、1杯50円のハイボールがむやみやたらに出ましたね」
 「あのころバーテンが酒田に30人、山形に40人ほどいて、それぞれ野球チームを作って試合をやったもんです。終われば温泉に行って芸者さんをあげてドンチャン騒ぎ。いい時代でしたね」
――92歳の今も現役で。
 「月曜を除く週6日、カウンターに立つのは午後7時から10時半まで。医者からは『それ以上は責任が持てない』とクギを刺されてます(笑)」
 「でも、よくしたもんでお客さんの注文の大半は『雪国』、あとは創作カクテル6種類。お客さんとの会話は好きだし、作るのは7種類だから、楽は楽ですよね(笑)」

〝老い〟を感じることも

 「ただ、まれに滅多に出ないカクテルを注文されて『え~と、どうやって作るんだっけ』なんて考え込むことも。カクテルの種類は2000以上。昔は400ぐらいまでは覚えてたけど、今はボケも入ってきたから100も怪しい(笑)」
――それにしても落語家級の話術ですよね。
 「話はなんぼでも。昔話がほとんどですが、お客さんから『よくそんなことまで覚えてる!』なんて呆れられたり」
――それで当時としては最先端のダンス教師、バーテンダー。さぞかしモテたんだろうな。 

女房には感謝

 「いわゆるプレーボーイでしたね(笑)。昔の酒田っ子はみんなそうでしたが、女友達は何人も。今では彼女たちの大半は鬼籍に入ったか、老人施設にいますけどね」
 「そんなことを3年前に死んだ女房は全部知ってたんでしょうね。知らないふりをして最期まで支えてくれた。最高の女房でした」
――男として最高の人生ですね。