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《セピア色の風景帖》 第118回 風間ガードの銃弾痕

2018年6月22日
 山形市風間のJR仙山線を潜るガードについては第41回で述べたが、先の大戦での米軍機による機銃掃射の痕を確認できたので報告する。
《セピア色の風景帖》 第118回 風間ガードの銃弾痕

 1945年(昭和20年)8月9日、風間地区の上空に米軍機グラマンが来襲、日本飛行機の楯山飛行場や楯山駅、軍事関連施設などに機銃掃射を浴びせた。施設関連の男性工員と民間女性の2人が犠牲になったとされる。
 その際、風間ガードの鉄橋部分にも銃弾が当たり、その威力は厚さ約1センチの鉄板を貫通するほどだった。銃弾痕は3カ所で、直径約3センチの穴が開いていた。

 風間ガードが2002年(平成14年)に架け替えられた際、銃弾痕の残る鉄板も姿を消したと思っていたが、つい最近、山形市のビッグウイング横の広場に立て掛けてあるのを発見した。
 ただ鐵道省の銘板はあるものの、それ以外に由来を記したものはなく、雨ざらしのまま目立たない状態で展示されているのは残念だった。
 鉄板は戦争の悲惨さを伝える貴重な歴史的資料であり、詳細な説明板をつけて郷土資料館にでも施設してもらいたいと思うのだが…。 (F)