徹底して山形に密着したフリーペーパー

シンガーソングライター 加藤 登紀子さん

2018年5月11日
加藤 登紀子(かとう・ときこ) 1943年(昭和18年)旧満州ハルビン市生まれ。2歳の時に実家が京都に引き揚げ、中学1年で東京に転居。駒場高から東大文学部に進み、在学中の65年に歌手デビュー、66年、2枚目のシングル「赤い風船」で日本レコード大賞新人賞受賞。その後「ひとり寝の子守唄」「知床旅情」「百万本のバラ」などのヒットを飛ばす。72年、学生運動指導者で今は亡き藤本敏夫氏と獄中結婚して話題を呼んだ。今年4月にベストアルバム「TOKIKO’S HISTORY」を発売し、自伝「運命の歌のジグソーパズル」を上梓した。6月3日、山形市のシベールアリーナでコンサート「花はどこへ行った」を開く。
シンガーソングライター 加藤 登紀子さん

今年はいろんな節目の年
  運命の曲を山形で歌います

――「おときさん」にとって2018年は感慨深い年だと。   

感慨深い1968年

 「大学を卒業し歌手活動を本格化したのが50年前の1968年。東大紛争が激化した年で、私も座り込み、これがきっかけで夫とも知り合った。あれから半世紀。私にとっては節目の年です」
 「海外に目を向けても、今年はパリ・コミューン(注・民衆が樹立した世界初の社会主義政権)から約150年目。アニメ映画『紅の豚』で私が声優を演じたヒロインが歌う『さくらんぼの実る頃』は、パリ・コミューンを象徴する歌です」
――西南戦争で自決する村田新八が、最期に城山でアコーデオンで奏でていたのも確か…。
 「そう、そう。『さくらんぼの実る頃』はフランス人にとっては国歌の『ラ・マルセイエーズ』と同じぐらい大切にしている曲なのよ」

音楽の原点はロシア

 「あと、私はハルビン生まれで、ロシアには格別な思いがあって。当時ソ連だったロシアに演奏旅行に行ったのも68年。死んだ父が始めたロシア料理店は今も東京と京都の3カ所でやってるし」
 「今年はロシア革命から101年目。私の『百万本のバラ』も、もとはソ連の歌。アルバムには68年にイギリスのメリー・ホプキンが歌ってヒットした『悲しき天使』も入れましたが、あの原曲も実はロシア」
――収録曲それぞれにヒストリーがあるんですね。
 「そうなの。まるで運命の糸でつづった1枚の絵のような感じ」

数え切れない山形との縁

――「おときさん」と山形との関わりって?
 「それが深いのよ。私や夫の〝人生の師〟が寒河江善秋さん(注・川西町出身の社会活動家で、青年海外協力隊の提唱者)。その縁で生前は何度も山形に足を運びましたし、昨年は同町で没後40周年コンサートも開催させていただきました」
 「シベールさんのコンサートは6年前から。サクランボがあまりに美味しくて『毎年この時期にコンサートで呼んで欲しいな』と周囲に話していたら、知事さんやJAさんが翌年に6月6日を『さくらんぼの日』に制定してくれて(笑)」
 「それに感謝して、山形のために『さくらんぼの季節』という応援ソングも作ったんですよ」

サクランボウオッカを!

 「あと、サクランボのウオッカがあって、私、ポーランドで飲んだんだけど、とっても美味しいの。日本では売ってなくて自分で輸入したこともあるのよ。山形で商品化してくれないかなあ」
――出羽桜さんに相談してみましょうか。