徹底して山形に密着したフリーペーパー

鈴木製麩所 社長 鈴木 浩一さん

2017年12月22日
鈴木 浩一(すずき・こういち) 1970年(昭和45年)山形市生まれ。山形東高から明治大学政治経済学部に進み、卒業後、マヨネーズのトップメーカー・キユーピー(東京)へ。同社で製造と販売を経験、4年半後、11年(明治44年)創業の実家で、麸の製造・販売を手がける鈴木製麩所(山形市)に常務として入社。2016年1月、父の恒太郎前社長の死去に伴い社長就任。47歳。
鈴木製麩所 社長 鈴木 浩一さん

麸は受け継がれる伝統の食材
  苦境打開のカギは商品開発

――創業が明治44年!

創業100有余年

 「10月の山形商工会議所の120周年記念式典でも『創業100年以上の企業』として顕彰されました。老舗として認識していただけるのは有り難いことではあります」
 「現在も主力商品になっている焼き麸の製造からスタートし、私で4代目。焼き麸を始めた曽祖父の兄弟に、今では国内有数の豆菓子メーカーに成長した『でん六』の創業者・鈴木傳六さんがいて、傳六さんにも何かと手伝ってもらっていたと聞いてます」
――へー!同じ華麗なる鈴木一族なんだ!
 「私は4人兄弟の長男なので、もの心ついた時から家業を継ぐという意識はありましたね。亡くなった父は絵心があって、画家になりたかったらしかったんですが、やっぱり跡を継がされましたしね(苦笑)」

荘内麸と車麸

――ボクは両親が関西で麸は食べるけど、食べない地域もあるでしょ。
 「小麦粉が原料の麸は山形では貴重なタンパク源として珍重されてきました。ただ県内でも地域性があり、日本海側では汁物に入れる薄い『荘内麸』が多く、内陸では煮物に適した大型の『車麸』が多いんですね」
 「麸を食べない地域は北関東あたりですかね」
――北関東の人間、『麸は鯉のエサ』なんて言いますよね(苦笑)
 「そんなイメージを払拭し、全国に麸の魅力を発信してしかないと。かつては240億円とされた国内需要は今では200億円を切ってます」

エスパルにも出店

 「製造・販売業者も徐々に減って内陸部では10社以下に。苦境打開には付加価値を高めていくしかない」
 「車麸を溶き卵に浸して揚げた〝揚げ麸〟、その揚げ麸を甘辛く煮付けた〝揚げ麸煮つけ〟などが伸びてます。私の代になり、麸まんじゅう、麸ラスクも開発しました。手間がかかって、まだ採算ベースにはほど遠いですけど(苦笑)」
 「あと父の代は卸が中心でしたが、小売りも強化していきたい。11月下旬にリニューアルオープンしたエスパル山形に出店したのもその一環です。コストはかかりますが、ここでノウハウを蓄積し、今後の展開にいかしたいですね」
――いろいろ大変だ。

公私とも多忙

 「私生活も忙しいんですよ。妻が総合病院で勤務医をしていて、息子が中学3年で来年が高校受験。妻が多忙な時は朝、息子の弁当をつくって送り出すことも(苦笑)」
――へ~え。
 「当面は社業とイクメンの2足のワラジですね、ハハハ」