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致道博物館館長(酒井家18代当主) 酒井忠久さん

2017年6月9日
酒井忠久(さかい・ただひさ) 1946年(昭和21年)旧庄内藩主酒井家17代当主・忠明氏の長男として鶴岡市に生まれる。鶴岡南高から成蹊大政治経済学部に進み、卒業後、地元の松岡協同製糸へ。92年、酒井家が地方文化向上のため土地、建物、文化財を寄贈して50年に開館した致道博物館の館長に就任。2004年酒井家18代当主。松ヶ岡開墾場総長、日本美術刀剣保存協会会長なども務める。71歳。
致道博物館館長(酒井家18代当主) 酒井忠久さん

ゲームで全国から若い女性
  息長い刀剣ブームを期待

――旧庄内藩酒井家といえば「三百諸侯」の中でも名門ですよね。

三百諸侯でも名門

 「藩祖は忠勝(ただかつ)で、徳川四天王の筆頭だった酒井忠次(さかい ただつぐ)の嫡孫(ちゃくそん)です。現在の山形県の大半を領有していた最上氏がお家騒動で改易され、忠勝が庄内藩を立藩したのは元和8年(1622年)でした」
 「米どころを抱える庄内藩は豊かでした。酒井家10代・忠器(ただかた)の天保11年(1840年)、財政難だった川越藩主を庄内に移封させる『三方領地替え』の幕命が下され、庄内藩の農民の反対で撤回されたほど。その経緯は藤沢周平さんの小説『義民が駆ける』に詳しい」
――ボクも読みました。
 「戊辰戦争は13代・忠篤(ただずみ)の時。庄内藩は賊軍として敗れますが、降伏条件は西郷隆盛の指示により意外にも寛大で、感激した忠篤と旧藩士らは薩摩に赴いて西郷に教えを乞いました。それが後の『南洲翁遺訓(なんしゅうおういくん)』の刊行へとつながります」
――明治の廃藩置県で旧藩主が東京へと去っていくなか、鶴岡で酒井家は連綿と根を張っていらっしゃるんですね。

地元では「お殿様」

 「酒井家は譜代。譜代は現在のサラリーマンのように基本は転勤族ですが、庄内入部以降、転封が一度もなかった数少ないケースですね」
――地元では親しみを込めて「お殿様」と呼ばれていらっしゃるとか。
 「時々ね(苦笑)。まあニックネームみたいなもんですの」
――お殿様で逆に不自由なこととか?
 「ないですよ(苦笑)。ラーメン屋さんや回転寿司にも行くし、飲みに出れば酔っ払うこともあるし、ハハハ」
――ところで、館長を務められている致道博物館がすごいことになっているとか。

刀剣ブームが追い風

 「刀剣展ね。所蔵している短刀の『信濃藤四郎(しなのとうしろう)』が人気ゲーム『刀剣乱舞―ONLINE―』のキャラクターモデルに採用されたこともあり、全国から若い〝刀剣女子〟が大挙して訪れてくれるのには正直ビックリ」
 「ゲームが入り口だとしても、刀剣の魅力に気づいてくれる人が増えるのは大歓迎。館内には県内の6つの国宝のうち、忠次が織田信長と徳川家康から拝領した太刀『真光(みつさね)』『信房作(のぶふささく)』の2振りの国宝もあるんですよ」

世が世であれば

――刀剣展の広告も弊紙にいただいています。
 「おかげさまで、入館者が増えました」
――世が世であれば、こちらが年貢を納めなきゃいけないわけで…。
 「…(苦笑)」
――何やら話題の映画「殿、利息でごさる!」みたいですね(苦笑)