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~最上三代~その栄光と蹉跌

 親子の関係というのは微妙で、愛憎(あいぞう)半ばすることがままある。とりわけ親が成功者として実力、名望ともにある場合はなおさらのようである。
2017年7月14日
 今回は最上義光(もがみ よしあき)の妻に注目してみたい。
 義光の妻といえば「大崎殿(おおさきどの)」が有名で、悲劇のヒロインとして知られる駒姫(こまひめ)の母であり、義光の嫡男・義康(よしやす)、次男で2代目当主の家親らの母と考えられてきた。
2017年6月23日
 前号で最上義光(もがみ よしあき)の印判(いんばん)(印章のこと)について記述したが、今号はその続きを記してみたい。
2017年6月9日
 前号では義光(よしあき)の花押(かおう)、つまりサインに注目したが、今号では義光の印判(いんばん)についてみてみよう。領土が拡大し、それに伴って家臣の数が増大すると、義光も自ら花押を書くのではなく、印判を捺(お)す場合が増えていく。
2017年5月26日
 最上義光(もがみ よしあき)の人となりを理解するうえで、花押(かおう)と印判(いんばん)は重要である。現代風に言えば、花押はサイン、印判は印章だが、当時は(現代も?)直筆の花押の方が重要視されていたようだ。
 ファンが直筆のサインを欲しがるように、当時の武士たちも〝判で押したような〟印判より、直筆の花押が記された文書の方を求めたのである。
2017年5月12日
 左の図は、山形市指定有形文化財「文殊菩薩騎獅像(もんじゅぼさつきしぞう)」(以下、文殊像)である。山形市八日町の宝光院(ほうこういん)に伝わり、現在は山形大学の所蔵になっている。
2017年4月14日
 前号では「尼崎本『洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ)』」(以下、尼崎本)に描かれた最上義光(もがみ よしあき)像を取り上げた。
 尼崎本には天正20年(1592年)、京都の東西を走る「中立売通(なかだちうりどおり)」を聚楽第(じゅらくてい)に向かう後陽成(ごようぜい)天皇の行幸が描かれおり、武家屋敷の門前で正装した姿で正座して見守る人物が最上義光であろうと推測した。
2017年3月24日
 従来、最上義光(もがみ よしあき)の相貌(そうぼう)を知る手がかりとされてきた「長谷堂合戦図屏風」の義光像に疑義が呈されていることは先号で述べた。 
 個人的には従来の義光像が実像に近いという一縷の希望を捨てたくはない。そんな思いでいたところ、偶然にも興味深い画像を見つけた。「尼崎本洛中洛外図屏風(あまがさきぼんらくちゅうらくがいずびょうぶ)」(以下、尼崎本)」である。
2017年3月10日
 最上義光(もがみ よしあき)はどんな相貌(そうぼう)をしていたのだろうか。それが分かれば人柄などをあれこれ推測する有力な手がかりになり得る。
2017年2月10日
 昨年11月、最上義光(もがみ よしあき)歴史館の前庭に最上義光立像が建てられた。山形西ロータリークラブが彫刻家の雨宮透氏に制作を依頼した像で、すでに御覧になった方も多いだろう。
2017年1月27日
史実に基づく義光像を
2017年1月13日