片桐製作所 会長 片桐 久吉 氏
昨年が創業60周年
──昨年が創業60周年。人間だと還暦ですね。
「実家は先祖代々続く米屋。私は次男だったから、地元の中学を出て上京して、旋盤技術を習得したの。山形に戻って22歳の時に独立。親父は反対したんだけど、最後は『片桐製作所』の看板を書いてくれた。十日町の実家の12坪を借りて、旋盤2台で創業したの」
「農具なんかの機械修理から始めたんだけど、仕事がなくて。だけど、ちょっとしたきっかけでターレットっていう機械が導入できて、それが縁で2年後に原田製作所(現在のハッピー工業)の下請けでミシン部品を造るようになり、それでようやく息がつけるようになったのね」
転機は石島氏との出会い
――山形の製造業の歴史そのものですね。
「でもこの間、税務署から申告漏れの指摘を受けて設備を差し押さえられたり、朝鮮動乱による思わぬ特需で立ち直ったり。女房は生まれて間もない長男(注・現社長の鉄哉氏)を背中に負ぶって工場現場で働いてた」
「転機はパイオニアの資材課長だった石島さん(注・石島聰一氏=東北パイオニア社長、会長、相談役を歴任)との出会い。石島さんからカーステレオの仕事をもらって、これが脱ミシンにつながって、自動車部品に転換していったの」
「技術的にも、最初は金属を『削る』っていう発想しかなかったんだけど、このころ冷間鍛造っていう『成形する』技術と出会った」
冷間鍛造設備を導入
「パイオニアからもらった1年分の注文書を担保に東北で最初に冷間鍛造設備を導入し、量産化とコスト削減が可能になったことが60年の歴史を作ったよね」
――うちは創業2年目なんですけど、ここまで来れば大丈夫だと確信できる日なんて来るもんですか?
「そんな日なかったね。焦げ付きとかもらい火による火災とか、振り返ればピンチの連続。でもピンチはチャンスなのよ。苦しいときに飛び込みで営業にいった会社が今も重要な取引先になってたり、逆境下で導入した最新設備がその後に役立ったり。そうやって歯を食いしばって努力するしかないのね」
「A型が良かった」
「あとは人との出会い。石島さんはじめ、テクノ84の人にホントに支えられた」
――悩みとかあります?
「血液型かな。私B型で、4人の子供も全員B。家内はA。しっかりしてるAがよかった」
――ボクA型ですけど、全然しっかりしてませんけどね(苦笑)
