徹底して山形に密着したフリーペーパー

山形大学 学長 小山 清人さん

2014年5月23日
小山 清人(こやま・きよひと) 1949年(昭和24年)和歌山県すさみ町生まれ。和歌山県立田辺高校から山大工学部繊維工業科に進み、同大大学院修士課程を修了し74年工学部助手、92年教授。2004年~07年に工学部長、07年~今年3月に理事・副学長を務め、4月1日に学長就任。65歳。
山形大学 学長 小山 清人さん

山大にお世話になって46年
  恩返しできれば望外の幸せ

――和歌山から何で山形大だったんですか?

国語、英語がダメ

 「何でって、山大しか入れてくれなかったから」
――当時は2期校でしたね。
 「××大学を落ちたの。××大も山形大も遠い日本海側だけど、何でかな、たぶん和歌山から離れたかったんやろね」
 「当時の山大工学部は第4志望まで書けた。だから電気、機械、化学、繊維と上から順に書いて、最後の4番目で拾ってもらった(笑)」
 ――勉強、得意じゃなかったんですね(苦笑) 「出来はよくなかった(大笑)。偏りがあって数学と物理はわりあいよかったんだけど、国語と英語がからきしダメで」
――どういうご家庭だったんですか?

小学校から働いて

 「ボクはね、父親の顔を知らないんですよ。母1人子1人で、母は土方をやって生計を立ててた。ボクも小学生の時から土方を手伝って、中学生になると週末に大阪に出て働いてました」
 「母はボクを高校にやる気はなかったけど、奨学金とアルバイトで高校に行った。もちろん大学に行っても仕送りなんてゼロですよ」
 「だから大学時代はいろんなバイトをやった。働かないと食えなかったんだから。今も『金がない』と言う学生がおるけど、当時のボクは本当に金がなかった(笑)」

希望の商社に入れず

――勉学の方は?
 「1~2年は学生運動みたいなこともやってました。3年から心を入れ替えて勉強するようになったけど、やっぱり成績はあまり良くなかった」
 「卒業する段になって繊維系の大手商社に行きたかったんだけど、山大からはボクより優秀だったヤツが行きました」
――ままならない人生ですねえ(苦笑)
 「それで大学に残ることになったんですな」
――でも初めてお会いしたのが11年前でした。
 「教授時代でしたね」
――あれから学部長、副学長、学長と、あれよあれよとエラくなっちゃって。
 「何でやろね。学長もそうだけど、学部長になったのも山大卒では初めてなんだよなあ」
――某山大教授に聞いたら「小山さんはマネジメント力が凄い」って。
 「そうかなあ」

学生と同じ目線で

――最後に、破天荒な学長として抱負を。
 「基本は結城章夫前学長の敷いた路線の踏襲。ただOBとして学生と同じ目線に立ち、本音でぶつかり合いたいですね」