徹底して山形に密着したフリーペーパー

荘内銀、北都銀と経営統合へ

2008年5月23日
 荘内銀行と北都銀行(秋田市)の経営統合が最初に報じられたのは13日。それから1週間以上たった今も、いまだにボクの胸にさざめきだっている波がおさまらない。ここにこぎつけた1人の経営者の生き様をあれこれ思い巡らす夜、容易に眠れなくなる。
荘内銀、北都銀と経営統合へ

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 その人が旧富士銀行の常務からトップとして荘内銀に来たのが1994年。その人の旧富士銀時代に薫陶を受けたという連中がボクが以前にいた会社に少なからずいて、彼らが口にするのが「本来、頭取になる人だった」。となれば、旧富士銀など3行が合併して誕生した「みずほ銀行」頭取の目もあったことになる。
 当時の荘内銀は、4行あった県内地方銀行の中であらゆる指標で最下位というボロ銀行。凡人ならクサるし、自暴自棄になるだろう。価値観を変えてプライベートの時間を楽しもうと頭を切り替えるかもしれない。
 現に、その人の前の2人の頭取も旧富士銀出身だったが、碌々(ろくろく)と、なすところなく過ごしたようだ。

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 だが、その人は違った。ボロボロだった荘内銀を数年で立て直し、山形銀行に次ぐ地位に押し上げる。
 そして99年には旧殖産銀行との合併合意にこぎつけて周囲を震撼させる。おそらく、その人が山形に来た時に心に誓ったであろう「質、量で山形ナンバーワンの銀行」が実現するかにみえた。

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 この合併は、結果的には「幻」に終わる。その人の雌伏期間はここから始まるが、以後も山形の金融界はその人を軸に回っていた。対外的に公言する「量より質」を誰も真に受けなかったし、誰よりボクは信じなかった。その人の夢とか、美学といったものの行く末を見届けたいと思い続けていた。

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 そんなボクが「もうダメなのかな」と寂寥の思いを抱いた瞬間があった。インタビューに登場をお願いし、1月に1年半ぶりにお会いした時、その人に残酷な「年齢」を感じてしまったのだ。

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 そこから今に至る。話が持ち上がったのが3月というから、棋譜の内側はうかがいようがないが、往年の精気を取り戻してスピード合意に至らせたのだろう。
 柔道にたとえれば、ピークを過ぎた名選手が若手を相手に体力差でポイントをとられ、誰もが勝負の行方を疑わなくなったロスタイム、相手の一瞬のスキを見逃さず、あざやかな一本勝ちを決めた——。生涯に一度、邂逅できるかどうかというドラマを見せてもらった。

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 晴れの舞台となった記者会見で、その人、町田睿頭取は対外的に初めて「量への渇望があった」と漏らした。
 ボクはその会見には行かなかった。行っていれば、その言葉を聞いた時、自分の息子のような他社の若手記者の前で滂沱(ぼうだ)の涙を流していたかも知れない。

                                            (本紙編集人 吉村 哲郎)