徹底して山形に密着したフリーペーパー

セピア色の風景帖

 明治時代に造られた橋としては南陽市から上山市に点在するいくつかの石橋が有名だが、大正時代の橋で現在も残っているのは明治のそれより少ない。
2017年11月10日
 会議室、ホール、展覧会場、図書館などを備えていた新庄市中央公民館は、新庄市のみならず最上地区の文化拠点として多くの講演会や展覧会などに活用されていた。
2017年10月13日
 当時の赤湯町、宮内町、和郷村が合併し、県内13番目の市として南陽市が誕生したのは1967年(昭和42年)のことだった。
 合併後も温泉街や国道13号を抱えて人口的に勝る赤湯と、熊野大社の門前町としての誇りを持つ宮内とのサヤ当てが水面下で続いたが、ジャスコ(現イオン)は1982年(昭和57年)に赤湯を選んで進出した。
2017年9月22日
 1881年(明治14年)開通の「栗子山隧道(くりこやまずいどう)」は1936年(昭和11年)に「栗子隧道」と名を変え、自動車時代の到来に備え大口径コンクリート造りの近代的なトンネルになった。
2017年8月25日
 山形県は昔から、船運を別にすれば、隣県に行くには必ず峠道を通らなければならなかった。
 特に福島との県境には奥羽山脈が横たわり、馬さえ通れないような難儀な山道を人の足でかきわけて進まざるを得ない時代が長く続いた。
2017年7月26日
 庄内地区は広大にもかかわらず、子どもの遊戯施設が乏しかった。強いて言えば夏場の海水浴場がそれに代わるものだったのかも知れないが、水遊びだけでは満たされないこともあっただろう。
 そんな状況を打破する形で昭和56年に湯野浜ランドがオープンした。
2017年7月14日
 山形市十日町に「山十大屋」という由緒ある菓子店があった。
2017年6月23日
 平成4年の東北芸工大開校に合わせ、国道13号から同大に向かうルートとして整備された「青春通り」には個性的な店が競いあって出店、活気を呈していた。
2017年5月12日
 今から13年ほど前、山形市中桜田の住宅街の隅でどんどん焼きの「やたいや」が店舗を構えた。
2017年4月14日
 前回も紹介した旧七小は、外装ばかりか校内随所にアールデコ風の意匠が施されていた。 
2017年2月10日
 山形市城北町にある市立第七小学校の校章はミツバチ。「七なのにハチとはこれ如何に」と茶々を入れたくなるが、実は七小は昭和9年、第八尋常高等小学校として開校したのだった。
2017年1月13日
 村山市では平成15年度から16年度にかけ、それまで6つあった中学校を2つに絞る急速な統廃合が実施された。
2016年12月9日
 平成元年の夏、山形市蔵王成沢の山の斜面に大規模な植物園&レジャーパーク「花夢花夢」がオープンした。
2016年11月11日
 その昔、農村部では繁忙期を過ぎると成人男子が姿を消したものだった。首都圏などに出稼ぎに行っていたからで、兼業農家が増えた今では出稼ぎこそ激減したものの、農閑期には時間を持て余すという男性が相変わらずいるようだ。
2016年10月14日
 バス事業を分離した後、観光・レジャー事業へのシフトを目指した山形交通(現ヤマコー)は平成9年、鉄砲町の本社敷地内にアサヒビール園をオープンさせた。
2016年9月9日
 かつて七日町四丁目にあった映画館「シネマ旭」は圧倒的な存在感を誇っていた。銀座の和光にも似たその佇まいは、半永久的に映画の街を標榜する山形市のランドマークであり続けると思われたのだが、現在は駐車場に変わっており、往時をしのぶよすがはない。
2016年8月12日
 昭和28年、七日町の一部120メートルの区間に県内初のアーケードが架けられた。当時の新聞はアーケードをさし「鉄骨陽よけ」という注釈をつけていたとか。
2016年7月8日
 釣りと言えば一般的には海や川を思い浮かべるが、子どものころの釣りは貯水池だったという人もいるだろう。
2016年6月10日
 以前は、規模はどうあれ「市」と名の付くところには大抵地方館があったものである。今は4万程度の人口しかない新庄でも、三吉座、日活、東映など複数館が営業していた。更に人口の少ない上山市でさえ近年までトキワ館が生き残っていたなど、零細地方館を支えるだけの映画人口は保たれていたものだ。
2016年3月25日
 大正9年に建設された旧村山市立図書館は、もとは地元の大地主だった喜早家(きそうけ)が屋敷内に作った私立楯岡図書館(たておかとしょかん)が前身。その後「喜早図書館」「楯岡町公民館」と名称を変え、昭和54年に市立図書館になった。
2016年1月8日
 統合により2014年度で閉校した上山市西郷第二小学校。128年の歴史に幕を下ろした同校には竜沢地区に分校があった。
2015年12月11日
 幼稚園に通っていたころ、友だちの実家が靴屋を生業(なりわい)にしていた。
 既製の靴を店頭に並べるだけの今風の靴店ではなく、薄暗い仕事場からコツコツという音が響いていた記憶がある。
 原料の皮を叩き、靴を一足づつ丁寧(ていねい)に仕上げていたのだろう。
2015年11月13日
 蔵王エコーラインの刈田駐車場からお釜までを結ぶ「刈田リフト」は今も稼動しているが、同リフトと並行して赤サビたもう一本のリフト跡が無惨な姿をさらしている。
2015年10月9日
 かつて山形市七日町には大沼デパート、丸久、緑屋などの百貨店、大型スーパーのジャスコなどがひしめき合っていた。そんな過当競争から逃れようと、長崎屋が新天地を求めて昭和55年、当時大店舗のなかった天童に移転した。
2015年9月11日
 果樹園が広がる山形市南松原に大規模な市営松原住宅が建設されたのは昭和43~4年ごろだった。住宅にはA~Dのタイプがあったが、メーンの2階建て・3部屋・庭付きの建物が立ち並んだ。
2015年8月14日
 ひと昔前は、家で出たゴミは家で処理するのが普通だった。
2015年7月10日
 イヌやネコはもちろん、亀やトカゲといったは虫類にまで及ぶ昨今のペット事情だが、ひと昔前は小鳥の飼育もブームだった。
2015年6月12日
 ミニカーといえば一般的には子どもの玩具と思われがちだが、コレクションにしている大人も少なくない。ただ、かつての山形市にはトミカやホットウィールが玩具店の片隅に置いてあるくらいで、大人向けの専門店はなかった。
2015年5月8日
 現在は架け替え中の山形市薬師町と双月町・印役町を結ぶ「馬見ヶ崎橋」は、市内で最も有名な橋であろう。
2015年4月10日
 「うまいものならみつますよ♪ そ~よまっすぐみつますよ♪」――この懐かしいCMソングが流れなくなって早くも12年になる。
2015年3月13日