徹底して山形に密着したフリーペーパー

[関連記事]=豊烈神社の打毬= 最後の山形城主、水野家16代当主も観戦

2006年10月13日
[関連記事]=豊烈神社の打毬= 最後の山形城主、水野家16代当主も観戦
 最後の山形城主で打毬を伝えた水野家の16代当主、水野忠俊氏(69、写真)=東京都渋谷区=が六日に豊烈神社を訪れ、古式に則った打毬を観戦した。
 尾張の国に興った水野家は、徳川将軍家の譜代大名の家柄。第11代目が「天保の改革」で名高い水野忠邦で、その長男で浜松から山形に移封してきた忠精が山形水野藩の始まり。
 豊烈神社は文政4年(1821年)、忠邦が祖先の忠元(豊烈霊神)を浜松城内に祀ったことが起こりで、打毬は神社創建時から忠元の命日(10月6日)に神事として奉納されてきた。
[関連記事]=豊烈神社の打毬= 最後の山形城主、水野家16代当主も観戦
 水野氏は毎年欠かさずこの大祭を訪れており、県の無形民俗文化財指定や保存会の発足など今年に入っての動きに関し「打毬を多くの人に知ってもらえるいい契機。私が委員を務める社団法人霞会館でも全国の打毬について調査中で、これをまとめて再来年に出版する計画もあります」と話す。
 水野氏の構想では本は扶桑社から出版、監修は山形市出身で弘前大学教授を務めた岩岡豊麻氏(84)が担当する予定。打毬研究の第一人者とされる岩岡氏も弘前から遠路駆けつけ打毬を観戦、試合後は水野氏らと久闊を叙し合った。