秋雨の中 豊烈神社で「打毬」を奉納
2006年10月13日
10月6日(金)、桜町の豊烈神社で毎年恒例の秋の例大祭が行われ、古式ゆかしい「打毬(だきゅう)」が奉納された。
打毬は3人ずつ紅白に分かれた6人の騎士がゴルフボール大の毬(まり)を毬杖(きゅうじょう)と呼ばれる棒を使って的に投げ入れる騎馬行事。先に計6個の毬を入れた方が勝ちになる。
この日はあいにくの雨模様で、予定の7試合を4試合に変更して実施。ぬかるんだ境内の馬場で、伝統行事を守る山形豊烈打毬会の会員ら約20人が熱戦を繰り広げた。
打毬は紀元前6世紀のペルシャ(現イラン)が起源で、西欧には「ポロ」として伝わり、日本へは唐(現中国)、朝鮮半島を経て平安時代に伝わったとされる。
当初は宮中行事としてもてはやされたが、8代将軍・徳川吉宗によって武技的な日本様式に生まれ変わり、文化・文政・天保時代、全国の諸大名の間で盛んに行われたという。
現在も残るのは豊烈神社のほか、青森県八戸市の長者山新羅神社と宮内庁の3カ所だけ。豊烈神社は宮内庁と同様、全盛期の様式をそのまま受け継いでいるのが特徴。
4月に県の無形文化財に指定されたことを受け、9月14日には地元住民や氏子らが「山形豊烈打毬保存会」を設立し、「山形市民でも知らない人が増えてきた」(豊烈神社関係者)伝統行事の保存に向け情報発信、後継者育成などを進めていく。
この日はあいにくの雨模様で、予定の7試合を4試合に変更して実施。ぬかるんだ境内の馬場で、伝統行事を守る山形豊烈打毬会の会員ら約20人が熱戦を繰り広げた。
打毬は紀元前6世紀のペルシャ(現イラン)が起源で、西欧には「ポロ」として伝わり、日本へは唐(現中国)、朝鮮半島を経て平安時代に伝わったとされる。
当初は宮中行事としてもてはやされたが、8代将軍・徳川吉宗によって武技的な日本様式に生まれ変わり、文化・文政・天保時代、全国の諸大名の間で盛んに行われたという。
現在も残るのは豊烈神社のほか、青森県八戸市の長者山新羅神社と宮内庁の3カ所だけ。豊烈神社は宮内庁と同様、全盛期の様式をそのまま受け継いでいるのが特徴。
4月に県の無形文化財に指定されたことを受け、9月14日には地元住民や氏子らが「山形豊烈打毬保存会」を設立し、「山形市民でも知らない人が増えてきた」(豊烈神社関係者)伝統行事の保存に向け情報発信、後継者育成などを進めていく。
2006年10月13日
2006年10月13日
