最後の山形藩主・水野家の第16代当主 水野 忠俊 氏
山形と共有したい 水野家の歴史認識――
──ご先祖の水野忠邦公の「天保の改革」、歴史で習いました。
豊烈打毬、文政4年から
「三河の国に興った水野家は徳川将軍家の譜代大名の家柄で、忠邦は第11代目。その長男で弘化2年(1845年)に浜松から山形に移封してきた忠精が山形水野藩の始祖であり、子の忠弘が最後の山形藩主です」
「豊烈神社は文政4年(1821年)、忠邦が祖先の忠元を浜松城内に祀ったことが起源で、その後山形城内に遷座しました。打毬は神社創建時から忠元の命日の例大祭に奉納されてきました」
家臣団、顔ぶれも多彩
――打毬は毎年観戦されているんですか?
「20年以上前から毎年、この日は山形を訪れています。山形水野藩の家臣団の子孫とその縁故者で構成する『香澄倶楽部』との会合もこの日に設定しています」
――『香澄倶楽部』の顔ぶれをみると、大久保さん(注・大久保靖彦蔵王ロープウェイ社長)とか、金森さん(注・金森義弘前山形県副知事)とか、そうそうたるメンバーですね。
「私を含めてみんな歳をとりましたけどね。今、会員は50人ぐらいかな」
サラリーマン経験も
――山形に来られた時は巡回されて、かつての領民の生活ぶりとか、米の取れ具合なんかをチェックされたりとか。
「しませんよ、そんなこと。昔の殿様じゃあるまいし(笑)」
――サラリーマン経験もおありなんですね。
「だから、殿様っていう職業がなくなっちゃったから……(笑)。その宮仕えも10年ほど前にリタイヤしただけに、毎年の打毬は楽しみです」
打毬本の出版も計画
「私が委員を務める社団法人霞会館では宮内庁、山形、八戸に残る打毬を記録し貴重な伝統文化として後世に伝えるため、来年末頃に本にする計画を進めています。」
「豊烈神社の打毬に関しては、ここにきて県の無形民俗文化財に指定されたり、保存会が発足するなど、先祖が移殖した伝統文化が広がりをみせ始めているのはうれしい限りです」
転勤族の水野家
――最後に、旧領民にむけて、かつてのお殿様からのメッセージを。
「山形藩主はめまぐるしく変わりましたが、水野家も転勤族でした。ですが戊辰戦争時、水野藩山形を戦火から救ったのは主席家老の水野三郎右衛門元宣と家臣達でした。水野家のこの歴史認識を山形の人々と共有できればと願っています」
