徹底して山形に密着したフリーペーパー

山響 創立名誉指揮者 村川 千秋 氏

2010年1月22日
村川 千秋(むらかわ・ちあき) 1933年(昭和8年)村山市生まれ。山形南高から東京芸術大学音楽学部器楽科に進み、卒業後に同大学音楽学部作曲科に入学、作曲を池内友次郎氏に師事。卒業後の63年に渡米、指揮者としての研鑽を積んで66年帰国、東京交響楽団の客員指揮者としてデビュー。以後、東響のほか札幌交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団などを指揮する。71年に帰郷、翌72年に東北初のプロオーケストラ・山形交響楽団を設立し正指揮者に就任。01年から現職。77歳。
山響 創立名誉指揮者 村川 千秋 氏

東京と山形の文化の差
    音楽で埋めたかった——

 「ベートーベンの『第5』を生のオーケストラの演奏で聴かれたこと、ありますか?」
——「第5」ってどういうやつでしたっけ? 
 「例のダ・ダ・ダ・ダーンってやつ」
——ないんです。
 
小中学生に生の音色を

 「山形ではね、山響が各地の小中学校を回るスクールコンサートをやっていて、子どもたちは中学を卒業するまでに最低2回は聴きます。子どもたちに生の音を聴かせてクラシックの素晴らしさに触れさせてあげたいというのが山響設立のボクの理念でしたから」
——「ふるさとの山形にオーケストラを」という村川さんの情熱が山響を誕生させたと伺っています。
 「周りからは『オーケストラなんて仙台にもないのに(山形では)無理』と言われました。ボクも諦めかけた瞬間はありましたが、仲間に恵まれ、支えてくれる人がだんだん増えて最後は報われた。感謝しています」
 
山響設立は郷土愛から

——そこまで情熱を傾けられた理由って?
 「それはもう郷土への想いからですよ。高校を出て進学で上京しましたが、山形と東京との文化格差に打ちのめされました。同時に恥ずかしい思いや悔しい思いも」
 「都会が地方に対して持つ差別意識は今でも感じます。テレビなんかで田舎をバカにしたり、甘くみたりする番組のなんと多いことか」
 「ですが彼我(ひが)には歴然とした文化の差が存在するのも事実。とすれば地方が胸を張って都会と対峙していくには誰かがその差を埋めていく運動を起こさないと」
 
オーケストラを身近に

——音楽を通してご自分が礎(いしずえ)になろうと。
 「大学を出て留学した米国には小さな町にもオーケストラがありました。学校や病院なんかと同じでオーケストラはもっと身近な存在であっていいと思います」
——フィンランドへも想い入れがお強いとか。
 「(窓の外の雪景色を見やりながら)これですよ。彼の国も雪や寒さが厳しくて、欧州での位置づけは日本における山形と同じ。またスウェーデンやロシアから永く抑圧されて来た歴史にもシンパシーを感じます」
 
30日「村川千秋の世界」

——「第5」で馬脚を現したようにボクは全くクラシック音痴なんですけど、お話を伺ってるうちに30日の演奏会、聴いてみたくなってきました。
 「お〜!! ぜひ来て下さい」